ボクシング

ボクシング(英:boxing)は、拳にグローブを着用しパンチのみを使い、相手の上半身前面と側面のみを攻撃対象とする格闘技の一種。拳闘とも言う。


ボクシング・歴史

古代ボクシング

両拳を使用する格闘法という広い意味での「ボクシング」は、人間が二足歩行を始めていた頃から既に会得していた攻撃手段だと言われている。紀元前4000年頃に描かれたとされる、ベニハサン遺跡の古代エジプト象形文字にもボクシングが軍隊で使われていたことが判読されており、クレタ島の紀元前3000年ごろのエーゲ文明の遺跡からもボクシングの図が書かれた壷が発見されている。恐らくこの頃から競技に発展していったと思われる。 ギリシャの古代オリンピックでは、ボクシングが第23回大会から正式種目となり、オノマストスが最初の月桂冠をうけた。この時代は全裸で油を塗り、拳には鋲を皮のバンテージのような物で包んだグローブのような物を着用、腕や肘による攻撃も許されていた。また、当時はラウンドは無く、どちらか一方が戦闘不能になるかギブアップ(右手の人差し指を天に突き上げるとギブアップを意味した)するまで勝負が続けられた。この競技は第38回大会まで続けられ、後にパンクラチオンとなった。 ローマ時代に入ると、奴隷同士が鉄の鋲を打ち込んだセスタスという武器を拳に着けて、コロシアムなどで見せ物としてボクシングを行うようになった。敗者は死亡、または再起不能になったと言われている。 そして436年に西ローマ帝国が滅びると共に古代ボクシングは歴史から姿を消すことになる。

中世ボクシング

中世イタリアやイギリス、オランダなどヨーロッパを中心に、ボクシングが護身として、あるいはレクリエーションとして細々と行われていたようだが、一般には定着しなかった。13世紀ごろのイタリア又はイギリスの神父が「ボクシング」と名付け、近所の若者に教えたのが「ボクシング」という名称の始まりだという説もあるが、定かではない。

近代ボクシング
  • ジェームス・フィグ
  • 現在のボクシングのルーツは、18世紀イギリスのテムズ川流域にあるオックスフォードシアという村で誕生したジェームス・フィグ(James Figg、レスリング、フェンシングとくに棍棒術を得意とした)が、1718年にロンドンで「ボクシング・アカデミー」を設立して貴族などにボクシングを教え始めたことにあると言われている。彼が行った「ボクシング」とは「プライズ・ファイター」と呼ばれておりベアナックル(bare―素)の格闘で、蹴り技や投げ技、絞め技、噛み付き、目つぶし、髪の毛をつかむことも認められていたためプライズ・ファイターは対戦相手に掴まれないように頭髪をそっていたなどパンクラチオンのような物であった。 フィグ自身も教える傍ら自ら「プライズ・ファイター」として腕自慢達を倒して賞金を稼ぎ、護身術としても優れていると認められたボクシングとともに名声を得てイギリス初のチャンピオンとなった。フィグは1730年36歳で引退し、1734年、39歳で死去した。

  • ブロートン・コード
  • フィグの後継者であったジャック・ブロートン(JackBroughton)は、自ら保持するタイトルの防衛戦の際に相手を殺してしまったために、「ボクシングを普及させるにはこのような危険は廃さねばならない」と考え、近代ボクシング初となる全7章にわたるルールブック、「ブロートン・コード」(英:Broughton's Rule)を書き記し、1743年発表した。ブロートン・コードには、ベルト以下への打撃の禁止、腰より下の抱込みの禁止、倒れた相手への攻撃禁止、ダウン後30秒以内に中央の所定の位置に立つ、リング(直径25フィートの円形、硬い土の上)の使用などの規定が記されていた。また貴族の練習の怪我防止用にマフラーという名のグローブを採用した。ファイトスタイルはスタンド・アンド・ファイトである。 1750年から1790年の間には、死者が多出したためイギリスでボクシングは禁止されることになる。しかし、ボクシングが再開されて1811年に行われたイギリス人王者トム・クリブとアメリカ合衆国トム・モリノーの再戦には、2万5000人もの観衆が押し寄せた。


  • ロンドン・プライズリング・ルールズ
  • 1814年にジョン・ジャクソン(元チャンピオン)が英国ピュジリスト保護協会を設立し、1838年に「ロンドン・プライズリング・ルールズ」(29条)を発表した。そこには「ブロートン・コード」(ベルト以下への打撃の禁止、腰より下の抱込みの禁止、倒れた相手への攻撃禁止)に加え、ベアナックルで試合を行い、蹴り技、頭突き、目玉えぐりの禁止、ダウン者に30秒の休憩、所定の位置に8秒で戻るルールなどが規定された。 この頃のボクシングはスタンド・アンド・ファイトスタイルでダウンごとに1ラウンドとし、50ラウンドにも及ぶ試合が普通にあった。そのため序盤は拳や手首を痛めないように用心しながら、徐々に打ち合っていくというスタイルであった。 1856年にはフランスで八百長疑惑によりボクシングなどの興行がパリで全面禁止された。


  • クインズベリー・ルール
  • 1867年にロンドン・アマチュア・アスレチック・クラブのジョン・グラハム・チャンバースは、ルール保証人の第8世クィンズベリー侯爵ジョン・ショルト・ダグラスの名を冠した「クインズベリー・ルール」(Marquess of Queensberry Rule、全12条)を発表した。このルールでは、投げ技が禁止された他、3分1ラウンドとしラウンド間に1分間の休憩をとるラウンド制、グローブの着用、ダウンした者が10秒以内に立ち上がれない場合はKO負けとすることなどが定められ、現在に通じるボクシングルールを確立するものであった。ただし定着は遅れ、1889年7月、ジョン・L・サリバンがジェイク・ロドリゲスと行なったヘビー級王座防衛戦まで「ロンドン・プライズリング・ルールズ」が使用され続けた。 1892年9月7日のジョン・L・サリバン対ジェームス・J・コーベット戦が、初めてのクインズベリー・ルールによる5オンスグローブ使用のヘビー級王者決定戦である。この時コーベットは当時のスタイル「スタンド・アンド・ファイト」ではなく「卑怯者の戦法」といわれた相手から距離をとってパンチをかわし、左の軽いジャブをあてるというフットワークのあるボクシング史上初めてアウトボクシングスタイルで21回1分30秒サリバンをKOし勝利をおさめた。


    参照

    ボクシング・サイトマップ